医師・スタッフ紹介
久保 賢介[院長]
1957年4月3日 福岡県 北九州市出身
医療法人輝陽会 理事長 ナチュラルクリニック21 院長
・1986年3月 佐賀医科大卒 付属病院内科勤務
・1987年 麻生飯塚病院内科勤務
・1989年 陽光診療所勤務
・2001年10月 有床診療所ナチュラルクリニック21 開設
日本アレルギー学会
日本心身医学会
毎朝の患者さんとの瞑想、農園での農作業が楽しみ。
モットーは「人は大自然の一部に過ぎない」「自然の中にこそ全ての答えがある」
趣味は魚釣り、南の島でのダイビング
私の自己紹介
北九州市という工業都市で生まれ育った私は、高校一年の夏休みのある日突然気管支喘息になり、その日以来、慢性の呼吸困難の日々を送る事になりました。
数日間も横になることもできない重積発作を何度も経験し、年間数回の入退院を繰り返すようになってしまいました。公害認定患者となり、高校3年を休学して18歳で単身田舎へ転居。自然の中で畑を耕し、海に魚釣りに行く生活を1年間行っているうちに、強い発作は生じなくなっていました。
19歳で田舎の高校に転校しましたが、運の悪い事は続くもので今度は健診で結核が疑われ、結核療養所に半年入所させられてしまいました。
そこには200人以上の入院患者がいて、周囲には10~20年入院している患者さんも数多くいました。
外出許可は月1回のみです。その中で暮らすうちに私の人生観は一変し、人生の大切さを実感するようになって、引っ込み思案の私は活動的に変っていきました。そして眼に見えない運命というものを強く感じるようにもなっていきました。
結局、結核は誤診でアレルギー性肺炎でしたが、健康で一般の社会にいられることがどれだけ幸せかが、身にしみて判りました。
それ以来、誰にも遠慮せず思いどおりに人生を楽しむ事にした私は、高校3年を3回やって20歳で高校を卒業しましたが、世界の全てが新鮮で輝いて見えるようになりました。
22歳の時にスピリッチュアルな世界に関心を持ってから急に運命は好転し、喘息患者だった私は医学部に入って医学を医者の立場で勉強するようになっていました。
病気を学ぶには2つの方法があり、1つは教科書から知識で学ぶ方法、1つは患者として身をもって体験する事ですが、どちらも非常に大切な事だと思います。
医師になってから大きな学びを得た出来事は、出生間もなくから全身の重度のアトピー性皮膚炎になってしまった長男の成長でした。
全身の発赤・腫脹・びらんがあり、全身をかきむしり、体液の滲出と出血が3年ほど続いた長男。
皮膚をかきむしるため、手をガーゼでグルグル巻きにしていましたが、それでも衣服はいつも血だらけで体重はどんどん低下していきました。
しかし、35億年前に誕生した生命はそんなに弱々しくはない、必ず自然に任せていれば回復すると信じていた私は、自然経過に任せる事にしてほとんど医療を受けさせませんでした。
驚いた事に長男は、突発性発疹・麻疹・水痘・おたふくかぜといったウイルス感染、特に40度近い発熱が1週間も持続する度にどんどん改善していきました。 ウイルス感染が免疫システムを成長させていたのです。予防接種を受けさせないで本当に良かったと思いました。
学童期までにアトピー性皮膚炎はほぼ改善。成人した現在は全く普通の肌です。
この体験から学んだ、「乳幼児期に免疫をしっかりと成長させることで、将来のアレルギー体質を防止する」という考えは、現在も私の考えの中心にあります。
2001年、今までの人生経験を踏まえて、新しい世紀にふさわしい自然との調和を大切にした医療施設 ナチュラルクリニック21を開設しました。 有床診療所がどんどん閉鎖されていく中、田舎に作るわけですからとんでもないもの好きです。 どうしても木造で作りたくて大変でした。敷地内には約200坪の畑もあります。 私自身の入院経験から、患者さんが楽しい入院生活が送れるように、そして患者さんの新しい可能性が開けるようにと考えて、行事やセミナーなども開催しています。
2005年1月、真菰の発酵物を利用したアトピー性皮膚炎の入浴ケアを患者さんに提案し始めました。 症例数を徐々に増やしながら試行錯誤の中で治癒率が次第に上昇。 2010年から本格的な臨床研究を開始し、2011年からは基礎研究を開始。 2013年、これまでの研究を集大成しバチルス入浴ケアと名付けましたが、その後、より馴染みやすくという考えから名称を【バイオ入浴(Biological Spa Care:BSC)】に変更。 2018年にはアメリカ合衆国において、アトピー性皮膚炎の治療法として特許を取得しました。 現在も、より完成度を高めるため、研究と試行錯誤を繰り返していますが、バイオ入浴の重症アトピー性皮膚炎に対する効果には毎日驚かされます。 アトピー性皮膚炎がなかったころの自然環境を再現しただけの、シンプルで確実性があり体にやさしいナチュラルな方法は、自然の奥深さを実感させてくれます。 薬剤療法一辺倒になりがちな現代医療に新しい分野を付け加え、患者さんの選択肢が増える事になります。 この入浴ケアは、自然と人との関わりを改めて問い直す新しい時代へのメッセージだと考えています。
玉田 まゆ子[カウンセラー]
大阪府出身 サイモントン療法認定カウンセラー
(NPO法人サイモントン療法協会)
私の自己紹介
医療や心理とは無縁の分野で仕事をしていた私が、宮沢賢治の「南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい」という言葉に出逢った時、全身に衝撃が走り、「生きて死ぬとはどういうことなのだろう?愛をもってそれを知り、心のケアを人生のミッションにしたい」と思いました。
2007年より、カウンセラーとして当院に勤務し、現在(2019年6月)まで、述べ12,000件以上のカウンセリングやセラピーを行ってきました(アトピー性皮膚炎の患者さんだけでなく、精神疾患やがん患者の方も数多くいらっしゃいます)。
治療中の心の在り方は、治癒や治療結果にも影響します。アトピー性皮膚炎の患者さんは、長きに渡る症状で長期間ストレス下にあった方も多く、心のケアが有効なケースが多いです。また、自己実現のためにカウンセリングを利用する方も、時代の変化によって増えてきました。入院中に気軽に心のケアを体験&活用していただければと思います。
病気はメッセンジャーであって、好きではないことをしていたり、無理をしている自分に気づかせてくれる存在でもあります。では、どうすれば自己治癒力を高め、健康的なバランスを取り戻せるのでしょうか?
例えば、喜びや休息を自分に与えること、不健全な苦しい考え方を手放し、新しい健全な考え方を育むことなどが挙げられます。
カウンセリングでは、患者さんが心理的に健康的なバランスを取り戻し本来の自分に帰っていけるよう、サイモントン療法・認知行動療法・イメージ療法・瞑想法などを活用しサポートしています。
私は、どんなときでも人生を変えて行けると信じていますし、「人は喜びに向かっていく」というのが私の信念です。
木戸脇 弘子[食事指導担当]
岡山県出身
管理栄養士
私の自己紹介
私は2008年の入職以来、入院患者さんへの食事の栄養管理や食事指導を担当しています。 入職当時は、がん患者さんの入院を多く受け入れていましたので、院長の指示のもと、重症のがん患者さんへの食事療法などにも取り組んでいました。
その後、アトピーの入院患者さんを多く受け入れるようになり、食べたものが患者さんの体調にダイレクトに影響を及ぼすことをますます実感しています。
当院の入院食は、私が実際に厨房で調理することもありますが、ほとんどはパート勤務の調理員が担当しています。調理員は地元のベテラン主婦層の方がほとんどで、郷土料理の作り方など私が教わる立場になることも少なくありません。
患者さんには、入院中に提供する食事の内容や食習慣を退院後もなるべく維持して頂けるよう、調理実習やお菓子作りの企画なども提案しながら、食事療法の大切さを伝えています。お勧めレシピの提供も好評です。
中川 耕一朗[入院窓口・入院患者対応]
岐阜県出身
事務スタッフ・社会保険労務士
私の自己紹介
入院希望の方からの問い合わせ対応などを担当しています。 バイオ入浴と当院の存在を多くの方に知って頂くことが、沢山の方の希望につながるとの思いから、2015年に他分野から転職してこの仕事に就きました。
私自身、軽度のアトピー患者で、バイオ入浴を実践する中で症状が改善・安定するという体験をしています。
入院をお考えの方は、みなさん様々な疑問や不安を抱えてご連絡を下さいますので、なるべくそれらを軽くして受診や入院を迎えて頂ければと思っています。
特に当院は入院費用の面が複雑であったり、バイオ入浴を提唱しているという特徴がありますので、わかりやすい説明を心がけています。
社会保険労務士として休職期間中の傷病手当金に関する知識など様々なアドバイスが可能ですし、学童期に不登校を経験したこともあるため、重症アトピー患者さんに多い、ひきこもり生活の実情も理解しているつもりです。また、患者さんがバイオ入浴に関する知識を習得なさるにあたっての指導や、患者さん向けの院内行事「喜びワーク」の企画なども担当していて、患者のみなさんと触れ合っています。
このWEBサイトをご覧になって入院を検討なさっている方は、ぜひ一度ご連絡頂ければと思います。